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20100909愛するのぽ君が亡くなって一周忌を迎えます。1 [わんこの記録]

~~~前置き~~~~~~~

愛するのぽ君が亡くなって一周忌を迎えます。


何度もパソコンに向かいブログを書こうとするが
何から書いていいのかわからなかった…
書けば泣いてしまう。泣いて文字も打てない。
ぽちこちゃんの前では泣かないと決めていますが
一人になるといまだに現実を受け入れられない自分が居ます。

でも、こうしてブログに自分の想いの30パーセントを書く。
それが、私とのぽ君が歩いてきた七年半のけじめだから。
ブログという公のものなので30パーセントに抑えるけれど
私の心を吐き出させてください。

決して悲劇のヒロインになろうというのではない。
読んでくださる方をなかそうなどとも思っていない。

犬を飼っていない人には到底わからぬ内容。
犬をなくした人でないと理解できぬ感情。

何より、飼い主でありママでもある私とのぽ君の
絆・信頼関係・愛…は私にしかわからない事。

私とのぽ君の間には普通の人には考えられない
程の強い強い愛と絆があった事もきっと他人にはわからない。
家族でさえわからないと思う。

ある程度冷静になった今でも、のぽ君を失った悲しみで
胸が張り裂けそうなこの気持ちは私にしかわからない。
胸が張り裂けそうなんて簡単なものじゃあない。…
心も体も魂もその一部であったのぽ君が居なくなって
しまった。その想いと、事実をここに書きます。

そして、家族が私の笑顔を取り戻したいと、新しい命を
迎えました。名前は「のこ君」です。

のぽ君が居ない穴は、心の隙間は埋るはずはありません。
それでも、ぽちことのこ君の為に明るく振舞っています。

大切なお散歩友達やペットショップのお仲間、グリトモさんで、
ぽちこちゃんや新しいワンちゃんの為にいつまでも泣いてちゃいけない
と、叱られました。それも良くわかります。仰る通りです。

ですが、一人のときは、どうか泣かせてください。
ぽちこちゃんとのこ君のママとして、彼らの前では頑張ります。

百箇日過ぎた今でも、のぽ君が亡くなったのは悪い夢で
でも、やっぱり祭壇というか仏壇というか…にはお骨があって
遺影があって…のぽ君の暖かいふかふかのお日様の香りの
する実体はここには無くて、やっぱり夢じゃないんだなと
毎日が毎日が絶望しているけれど、死ぬ直前ののぽ君の絶望は
こんなものでは無いはずだから、ママである私は耐えねば
なりません。そう言い聞かせて生きています。




~~~~のぽ君が旅立ってしまったこと~~~本文

2009年9月12日朝8時46分の電話に耳を疑った。
耳を疑ったというより、悪い夢だから寝てしまおうと
思うくらい唐突に、ありえない内容の電話だった。

本来なら命を奪われるようなものではないような
腫瘍を取るために入院していたのぽ君だったが

その入院先の先生からの電話は開口一番

「のぽくん、亡くなりました」 だった。

「はい?」 と聞きなおしたが

「昨晩お散歩に連れて行こうとしたら既に大量の
出血で、いき耐えていました」 と続いた。

「すぐ迎えに参ります」というのが精一杯だった。

家族に話し、すぐに迎えに行った。

病院に向かう車の中でぽちこに詫びた。
ぽちこはお留守番していてもらったのだが
「ぽちこも愛してる。だけど今だけのぽ君の事を
考えさせてね。ごめんね。」とぽちこに詫びた。

死んでしまったという電話がただの悪夢で…
実は迎えに行ったら、手術の痕は有るものの可愛い
笑顔がそこに有るのだと思いたかった。

入院先の病院に着いた。どうかただの夢で
あって欲しいと最後の最後まで願っていた。

現実はあまりにも無情でした…

のぽ君は、白い小さい箱の中に横たわっていました。



本来ならば、開腹手術とは言え、内臓まで切った
訳ではないので、術後帰ってくるはずだった。

かかりつけでもあり、執刀した医師も、こんなことに
なるとは夢にも思わなかったのだと思う。

なぜ、入院に至ったかを書かねばならない。



遡る事、 2009年9月7日

いつものように、のぽ君とぽちこちゃんは大好きな
先生のところに健康診断に行った。

以前から腫れのあった部分も先生と相談しながら
この手術をむかえた。

この手術の原因以外は健康なのぽ君、ぽちこちゃんの
健康診断を済ませ、いよいよのぽ君を病院に残してかえら
ねばならず、のぽ君と1日たりとも離れて暮らしたことのない
私を、まるで気遣うように素直に先生に付いていきました。

その姿忘れられません。少し俯いたけれど気丈に
しっかりとした足取りで先生に付いていきました。
一度もははを振り返ることなく…

先生からは、手術の写真などをキチンをメールでいただいて
おり、のぽ君と離れているのは辛かったけど
本当に辛いのはのぽ君なんだからと私は自分に
言い聞かせていました。



2009年9月8日

迎えに行きました。少しやつれて見える。だけど、
開けてみたら状態が悪く思いの他傷も大きく痛いはずなのに、
ママに駆け寄ってスリスリしてくださり…。

今のぽ君は、家に帰って来て少し安心したように可愛い顔に
戻り可愛い寝息をたてて眠ったり、痛いながらも自分で
ちゃんとおトイレに行き、とても元気にしていました。



2009年9月10日

のぽ君、手術は成功しましたが、縫合が開いて
病院に連れて行きました


傷口が痛いのに、私やぽちこに気を使って、
無理に動いたり元気に振る舞ったのですね。

気持ちの優しさが裏目に出たのかも知れません。


9日の夜発見し、すぐ先生に連絡をとり開いた
傷口の写真を送り、先生の指示をあおぎました。


8日9日と食欲が無かったのぽ君、でも9日の夜
豚足を骨から外して細かく刻んであげたら一生懸命
食べました。痛々しいけどきっと痛いのだろうけど
可愛い笑顔には生きる力を感じました。


再入院した夜、ぽちこちゃんも寂しそうにのぽ君の
いつも居る場所クンクン探します。

飼い主として、病気怪我も含めて飼い主。
楽しいばかりじゃありませんが、のぽ君が
頑張っているから、ママは落ち込んで居られないと
自分に言い聞かせて居ました。

のぽ君の傷が早く治りますように。
ただただ、そう祈っておりました。

夜先生からも、状況をメールいただきました。
本人元気ですとのメールに、ほんの少し安心しました。


2009年9月11日

手術をしたのですが、普通には命にかかわるものでなく、
ただのぽ君は本当に私から離れて居るたったふた晩が
耐えきれず、ママにあいたい一心で、エリザベスカラーすら
自力で外して、私の傍に来たいからの一心で無理をして
傷口が開いて、失血死してしまいました。

ここまでママっ子とは先生も想定外でしたから、
先生にお任せくださいと言われたら、そばに付いてあげたいの
一言が言えず、帰って来てしまいのぽ君を血だまりの中で
病院で一人で逝かせてしまいました。

このとき、のぽ君が一人で闘っている時、院内は無人で
先生も人間ですから食事や入浴などあるでしょう。
それを済ませ、夜10時30分頃様子を見に行ったら、
既に、おびただしい血だまりの中で絶命していたそうです。

私の所に帰りたい。それだけではなかった気がします。
のぽ君は、とてもやさしい顔をして優しい性格でしたが
男気がある子でした。

私やぽちこちゃんのために帰ろうとしたのだと思います。
ママが悲しむから帰らなくちゃと…ぽちこが心配するから
帰らなくちゃと…そう思ったと思います。
大人しく優しい性格で愛されていたのぽくんですが、
家族を守ろうとする男気は強い子でした。

そして無理をして傷が開いて、それでも帰ろうと闘った
のだと思います。普通では柴犬レベルの力では
外せないようなエリザベスカラーまで外してしまった。

相当の力が傷口にかかったと思います。

自分が死んでしまう直前まで、彼は戦い抜いて…

絶命する直前に、死を悟ったと思いますがのぽ君は何を
思ったでしょうか?

ママとぽちこにもう逢えないと絶望させてしまった。
その絶望がどれほど彼にとって重く辛かった事か。




先生には、メールでも、術後傍にいたいと相談していましたが
先生にとっては、死に至るような手術ではないので
楽観していたのかもしれません…

手術に問題はなくても…10年以上の付き合いのある先生だから
私とのぽ君の愛の深さを少しは理解してくれているかと
思ったけれど、私が甘かったです…

どんなに親しくさせていただいていても、むしろ親しいから
言いたい事を飲み込まなければならない時も有る訳で。

結局、先生にとっては、のぽ君もただの患畜でしかなく
私が傍に居たいという願いは聞き入れてもらえませんでした。
というよりは、それほど深刻な手術ではないからと
明るく一笑されてしまっては、それ以上いえませんでした。


のぽ君を医学的には失血死ですが孤独死させてしまった。

なぜこの病院を選択したのか…と、聞かれれば
のぽ君とぽちこちゃんがとても懐いていて先生が大好き
だったからです。


夏に、ちょっとした口の怪我でのぽ君を他の病院に
といっても、数回はかかっている面識のある病院なのに
注射一つ打つのに大暴れしてしまったので、
のぽ君の気持ちを考えたら、のぽ君が精神的に楽に
手術出来る方が、のぽ君にとっての負担は少ないのでは?
と考えての事でした。

既に息絶えている事を、夢にも思わずこの日の夜
明日こそのぽ君をお迎えにいけると、眠れない夜を過ごしました。


そして、冒頭に書いた12日の悪夢のような電話を…



白い箱の中の、のぽ君は少し苦しそうな顔をしていました。
先生の用意してくれた小さな花束が胸にありました。

のぽ君に、起きて!ママだよ!と話し掛けても
そのつぶらでまっすぐに私を見詰めてくれた瞳は開く事は
有りませんでした。

お願い、私の命と引き換えにしてのぽ君を返して!
と、何度も願いましたが、叶う訳は有りません。

私は、のぽ君を箱に入れたまま、つれて帰るなんて
出来ませんでした。箱から出し、いつものようにこの腕に
この胸に抱いて連れ帰りました。

箱から出して抱きかかえていると、のぽ君の顔が
だんだん安らかに、眠っているような顔に戻ってきました。

亡くなってしまっても、逢いたくて焦がれたママの事は
判ってくれたんですね。きっと…。

のぽ君を抱きかかえて、先生にお別れの挨拶をしたら
先生まで涙を流しました。私としては本当に先生を責めたかった
けれど我慢して、「ありがとうございました」とだけ言いました。

私は飼い主だから…断言出来る事は…
私がそばに居れば確実に生きて帰ってこれた。
面会というレベルではのぽ君には足りないんです。
傍にいて…ただただ傍にいるだけでのぽ君は帰って来れたんです。

良い飼い主とはいえない私ですが、自分の愛する我が子の
気持ちくらいわかります。でも私が先生に其処までを伝えきれなくて
結果、私がのぽ君を殺してしまったんです。


2010-09-11 14:19:12

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